日本刀「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)模造刀でも手に入れたい一品

趣味の世界

日本刀の中には名刀と言われる数多くの刀が存在します。
現存するもの、そうでないもの、逸話の中から生まれたもの、何が正しくて、何が正しくないのか、詳細は不明ですが、
見て見たい、触ってみたい、レプリカが欲しいと思った事はありませんか?
日本刀を所持するには、許可が必要(許可を持っていないと銃刀法違反です)ですが、レプリカであれば許可はいりません。
でも、持つならリアルさが欲しい、実物と同じ長さや輝きが欲しい、などこだわりが出てしまいます。

ここでは、刀剣ワールドさんからの内容を参考に、私なりの解釈でまとめています。
もっと詳しく知りたいという方は刀剣ワールドさんご覧ください。
https://www.touken-world.jp/tips/25027/

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〇天下五剣(てんがごけん)の1つとされる

天下五剣とは、過去歴史上の日本刀の中でも最高傑作とされる5本の刀のことを表します。
もう、国宝ですね。これはさすがに個人で買えるレベルではありません。
最高傑作の5本とは、以下の5本を表します。

  • 1、「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)
  • 2、「三日月宗近」(みかづきむねちか)
  • 3、「鬼丸国綱」(おにまるくにつな)
  • 4、「大典太光世」(おおでんたみつよ)
  • 5、「数珠丸恒次」(じゅずまるつねつぐ)

この5本の刀は時代も別々で、だれが「天下五剣」と名付けたのか、分かっていません。
明治時代以降になってから、刀剣関連の書物に記載が現れ始めたようです。
誰が評価して、この5本を選んだのか、なぜ5本だったのか、その道のプロが目利きして生まれたのか、不思議です。


〇作者は「大原安綱」(おおはらやすつな)平安時代中期(生没年不詳)

そんな天下五剣の中の1つとされる、「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)。
造られたのは、平安時代中期の刀工「大原安綱」(おおはらやすつな)の作品となっています。
安綱(やすつな)は、平安時代中期に伯耆国(ほうきのくに※現在の鳥取県)での刀鍛冶で、伯州刀工の始祖といわれ、「刀工の祖」とされています。
この頃から日本の刀の形が、いままでの直刀と言われるまっすぐな刀から、反りのある日本刀に変わっています。大原安綱作の刀はいまでも約20振が現存しています。


〇寸法・形・切れ味

「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)の刀身は、2尺6寸5分(約80cm)
細身なのにも関わらず、反りが2.7cmもあり、力強さと美しさ持った太刀です。
切れ味の逸話としては、平安時代中期の頃、作られた刀は罪人の遺体で試し切りされていたと言います。そのころ、6体もの遺体を重ねて試し切りを行ったところ、両断したうえに遺体の下にあった台座も切ったと言われています。

〇「童子切安綱」の逸話

「源頼光」(みなもとのよりみつ)が「酒呑童子」(しゅてんどうじ)という鬼の首を切ったとされる日本刀です。もう、昔話の中に出てくる様な伝説的存在ですね。名前の由来はそこから来ています。
それまでは、「血吸」(ちすい)という名前だったとか。
「源頼光」(みなもとのよりみつ)が、この最高傑作「童子切安綱」を持って鬼退治に出かけたのでしょうか。
平安時代、大原安綱(おおはらやすつな)は、この最高傑作である刀を、当時の征夷大将軍である、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に貢献します。
坂上田村麻呂は、「天照大神」(あまてらすおおみかみ)からお告げを受けて、刀を伊勢神宮に奉納します。
伊勢神宮に参拝に来た源頼光は、天照大神からこの刀を授かります。
そして鬼退治へ。


〇「童子切安綱」を所持した人々

室町時代からは、足利将軍家が所持していたとされています。
その後、室町幕府の最後の征夷大将軍、15代将軍足利義昭から、豊臣秀吉に贈られる事となります。
豊臣秀吉は、無類の刀剣好きだったため、天下統一後に権力を使って170振以上の刀剣を収集します。
しかし、「童子切安綱」だけは手元に置かず、本阿弥家に預けてしまいます。
大阪夏の陣にて、大阪城と共に名刀が焼失するのですが、「童子切安綱」は無事だった様です。
豊臣秀吉が滅び、徳川家の所有物となった「童子切安綱」は、徳川家康の元へ、そして、二代目将軍徳川秀忠(とくがわひでただ)へと受け継がれていきます。
徳川秀忠(とくがわひでただ)は自分の娘「勝姫」(かつひめ)が松平忠直(まつだいらただなお)に嫁ぐ際、松平家に「童子切安綱」を贈っています。
そこから昭和20年頃まで、津山松平家は「童子切安綱」を所有しますが、太平洋戦争後に手放す事となります。
当時の松平康春子が所持していたが、石黒久呂氏が8万円で購入。
そして、石黒氏から玉利三之助氏が10万円で購入。
その後、村山寛二氏に譲渡され、昭和26年ごろに村山寛二は「童子切安綱」を抵当にして、渡邊三郎氏から金50万円を借りるが、その直後に渡邊氏が急死。
村山氏と渡邊氏の遺族との間で裁判沙汰となる。
最高裁までもつれたのち、最終的には文化財保護委員会(文化庁の前身)が昭和37年に2600万円(当時)で買い取り、
村山氏と遺族で分配した。
現在は東京国立博物館所蔵となる。


〇まとめ

「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)は、天下五剣の中でも最も古い刀になり、伝説の逸話からも名刀中の名刀とされています。
ですが、現存している刀のひとつでもあります。あらゆる歴史的偉人の手を渡り、多くの時代を生きてきた刀剣「童子切安綱」。
一度、お披露目されるときは東京国立博物館へ行かれてみてはいかがでしょうか。
模造刀としても、ひとつ手に入れたい一品でもあります。

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